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Foresight in sight

日本ユニシスについて

日本ユニシスグループの歴史

ENIAC誕生50周年記念 −その歴史を追って−

情報化時代の幕開け VOL.2

ENIACの共同発明者のプレスパー・エッカート
(J.Presper Eckert)
電子回路によって計算を解くという3つの試みのうち、英国情報機関(British Intelligence)の"Colossus"と呼ばれたコンピュータは大型の電子式機械であり、1942年頃ブレッチリー・パーク(Bletchly Park)で組立てられている。オハイオ州立大学のアタナソフとIBMには開発資金に制約があったが、"Colossus"の開発には、その後のペンシルバニア大学ムーア・スクールと同様に、第二次大戦を遂行するために投じられた巨額の研究開発資金を利用できた。しかしColossusはENIACと違って、特定目的の機械であった。Colossusはたんに機密電文の解読を目的として設計されたものであった。これは かの有名なEnigmaと呼ばれたドイツ軍の暗号解読機に対抗できるように特化して開発されたからである。
事実、これらの3つのシステム、アタナソフ−ベリーコンピュータ、IBMの電子式乗算機およびColossusのすべてが特定の目的を遂行するには、ある装置を特別に設計するという、これまでの伝統の域を脱しきれていなかった。ちょうど実験物理学者が、高エネルギー物理学上の特定の現象を取り扱うために、特殊な微粒子検出器を設計するといったようなものであった。上記の3つの特殊コンピュータは、非常に革新的ではあったが、汎用的に計算を処理するような設計にはなっていなかった。
アタナソフ−ベリーコンピュータを例にとってみると、このコンピュータは数値(つまり線形方程式におけるシステム表現係数)の記憶に、電子機械的記憶機構を採用したことによってその計算速度が制約されていた。アタナソフは、狙いを定めた理論物理学上の問題を解くことに主な関心があり、彼のコンピュータは、そうした問題に対しては十分な解決策となるものではあった。アタナソフは、おそらく同じ問題を機械式リレー計算機を使っても解決することはできたであろうが、電子回路を使用したのは、彼がENIACの発明者と同じく電子回路に興味があり、その有効性を知っていたからであろう。
一方、ENIACの共同発明者であるジョン・モークリー(John Mauchly)は、1941年にアイオワ州立大学にアタナソフを訪問して初めて、アタナソフ−ベリーコンピュータを知った。彼はそれまで、そうした機械を見たことも、作ったこともなかったが、逆にこれが彼に一層大きな、汎用の機械を創れるという自信を与えることになったようである。
発明や発見には、各所で似たような努力が同時になされていたということがよくある。このためある発明があると、引き続いて同じような発明がなされることがある。たとえば、人力飛行機の発明、電球の発明の場合もそうだった。
ジェームズ・ワトソン(James Watson)とフランシス・クリック(Francis Crick)がDNAの構造を発見したときには、それ以前の理論的、実験的研究がに大きく役立っていたことはいうまでもない。過去の最善の成果の上に、新しい発明・発見がなされていくという、この“創造”ということについての伝統は、ENIACについても確かに当てはまっているのである。
ENIACは、多くの成果を挙げたにもかかわらず、近代の計算システムに必須とされるある種の機能が欠けていた。たとえば、ENIACは自身の記憶装置にプログラムを内蔵する能力−プログラム内蔵方式−がない。そのため特定のプログラムを実行するには、人間が手で配線しなければならなかった。プログラム内蔵方式がどう研究されてきたかは歴史の窪みに隠されてしまっている。エッカートとモークリー、ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)などがこの方式を考案するのに寄与したが、ENIACにはまだ採用されていなかった。ちなみにこの設計方式によって作動した最初のコンピュータはEDSACであり、1949年にケンブリッジ大学のモーリス・ウイルキス(Maurice Wilkes)によって製作されている。
プログラム内蔵方式もさることながら、現代のコンピュータにはインデックス・メモリ、ランダムアクセス・メモリなど大容量の外部記憶装置が必須であるとされている。ENIACとその後継機であるEDVACはこれも有していなかった。
コンピュータ開発の初期にあって、そのアーキテクチャの設計には、米国高等研究所(Institute of Advanced Studies)のジョン・フォン・ノイマンやハーマン・ゴールドスタイン(Herman Goldstine)が、マンチェスター大学の研究チームと一緒に、全精力を注いでいた。ENIACには今日のコンピュータなら当然備えているはずの基本的命令語が、いくつか装備されていない。
たとえば、ENIACには条件枝別れ −BASICやFORTRANプログラムにおける“IF”文 − が、元々の設計の一部に入っていなかった。こうしたいくつかの不備にもかかわらず、ENIACは科学技術の進展に重要な決定的な第一歩を記し、軍の科学者や技術者に、「電子回路によって計算すること」の価値と実用性を納得させることができたのである。
ENIACへの関心の高まりとその後の技術の進歩が、コンピュータ産業や情報処理産業の基礎を作り、実際に第二次大戦後の世界を変えることになったのである。
このコンテンツは、ENIAC誕生50周年を記念し、平成8年10〜12月に作成/公開したものです。