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Foresight in sight

日本ユニシスについて

日本ユニシスグループの歴史

ENIAC誕生50周年記念 −その歴史を追って−

情報化時代の幕開け VOL.8

エッカートは、ENIACの記憶装置のためにさまざまな可能性を探っている。
たとえばベル研究所(Bell Laboratories)のウイリアム・ショックレイ(William Shockley)が開発した音響遅延線も試された。
水銀遅延線をコンピュータ記憶装置として活用する可能性も研究された。
複雑な水銀槽群、加熱装置、それに電子制御回路で構成された水銀遅延線は、ムーア・スクールやその他で、次世代コンピュータの主記憶装置の原型になった。
たとえば、ケンブリッジ大学のモーリス・ウイルキスが開発したEDSAC(1949年)、米国標準局(National Bureau of Standards)のサミュエル・アレキサンダー(Samuel Alexander)が開発したSEAC(1950年)、そしてムーア・スクールで開発された2番目の大型コンピュータであるEDVACなどである。
エッカートとモークリーはやはり水銀遅延線をBINAC(1949年)とUNIVAC(1951年)で使用している。
2人はムーア・スクールを退職して会社を設立し、ここでこの2つのコンピュータを設計・開発している。
ENIAC開発の間に、プログラム内蔵方式という革新的技術が開発されている。
すなわちプログラムを同一の高速記憶装置に数値データとして保存するという概念である。
1944年の夏前、エッカート、モークリーそれに他のムーア・スクールの技術者は、ENIACの設計改善のための公開討論を行った。
多くの参加者がありさまざまな討論がなされたが、手作業によるENIACのプログラムの配線作業は、大きな負担であることは、誰の目にも明らかであった。
エッカート、モークリー、それにプロジェクト・スタッフのかなりのメンバーは、コンピュータを自動的に制御する方法について検討していた。
1944年の6月、抽象数学と応用数学の双方で広範な学識を持つ世界的数学者ジョン・フォン・ノイマンがENIACチームに加わり、次世代コンピュータの理論的設計の検討が開始された。
有名なイギリスの数学者アラン・チューリング(Alan Turing)の開発したプログラム内蔵方式の考え方に依拠しながら、フォン・ノイマンは、高速コンピュータで実現可能なプログラム内蔵方式の理論的検証を行った。
彼の成果は“EDVAC設計の第1稿(The First Draft Report of the EDVAC Design)”としてまとめられている。
1944年末、陸軍の軍需品部(Army Ordnance Department)はENIAC研究の追加契約を承認した。 こうして、ムーア・スクールで、EDVACすなわち電子式離散変数自動コンピュータ(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)に関する研究が開始された。
*このコンテンツは、ENIAC誕生50周年を記念し、平成8年10〜12月に作成/公開したものです。