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Foresight in sight

日本ユニシスについて

日本ユニシスグループの歴史

ENIAC誕生50周年記念 −その歴史を追って−

情報化時代の幕開け VOL.9

ENIACの完成は余りにも遅すぎ、元々の目的である大砲の弾道計算には役立たなかった。
それに代わり、1945年の試運転期間にENIACが行った最初の仕事は、熱核連鎖反応すなわち、水素爆弾の研究のための離散計算であった。
ロサンゼルスのアラモス科学研究所(Alamos Scientific Laboratory)出身のニコラス・メトロポリス(Nicholas Metropolis)とスタン・フランケル(Stan Frankel)がENIACプロジェクトに赴任し、すべてが電子で処理されるコンピュータでの、最初の核物理計算を取り仕切った。
最初の計算は1945年の11月に行なわれた。
計算は1946年のENIACの正式の完工式まで継続して行われた。
多くの軍関係プロジェクトは終戦と共に終了したが、ENIACの開発は継続された。
ENIACは兵器や国家安全保障問題を、はるかに超えた価値を持つものと認識されたからである。
ENIACの正式納入時に、軍の定期刊行誌は、コンピュータを、経済成長と戦後の民間産業の再転換を加速する手段として位置づけ、“産業へのコンピュータの活用”を説いている。
実際、コンピュータの商業利用はENIACの開発から10年を待たずに始まっている。
軍の高速計算への関心、さらに核兵器開発プログラムで高速計算の需要が高まり、連邦政府は揺籃期のコンピュータ技術を継続的に支援した。
まもなく、コンピュータ産業は、驚異的な成長産業へと発達していくのである。
今日、コンピュータのない世界を想像することは不可能である。
多くの人が当初はコンピュータに懐疑的であったとは、とうてい今日では信じ難いであろう。
もちろん、初期の技術的限界には失望させられたし、初期の機械の多くは致命的な故障でもないのに5時間も10時間も停まったり、記憶装置が故障して情報を保存できないといった問題が起こるたびに、電子工学技術者や科学者でさえ、一部のアプリケーション以外にはコンピュータは役立たないのではないかと思うほどであった。
わずか50年足らず前に、産業界がこの革新的技術の持つ意味を理解できなかったのは信じ難いと思えるであろう。
しかし、過去の歴史には、“誰がそれを必要とするの?”といった疑問を投げかけたり、役立つはずがないという理由を、山ほど並べ立てて難癖をつけるといった事例に満ち満ちている。
アレキサンダー・グラハム・ベル(Alexander GrahamBell)はウエスタン・ユニオン(Western Union)に電話の着想を買ってもらえなかった。
ケルビン卿(Lord Kelvin)はラジオに未来はないと思っていた。
ハリー・ワーナー(Hary Warner)は発声映画のニーズには懐疑的であったのである。
1950年代に、高度兵器を必要とする軍の要請、科学研究と工学技術の進展、データ処理への理解の広がりなど、いくつかの要因が、コンピュータ産業発展の土壌を造っていった。
コンピュータ産業の初期の牽引者はレミントン・ランド社のユニバック事業部とIBMであった。
レミントン・ランド(後にスペリー・ランド社さらに現在はユニシス)は、エッカート・モークリーのコンピュータ会社を1950年に買収し、この業界の最初の牽引者となった。
1952年にIBM701を開発したIBMは、豊富な品揃えと、堅実な製品戦略、それにそのマーケティング力によって支配的地位を獲得した。
この他の初期のコンピュータ・メーカーとしてエンジニアリング・リサーチ社(Engineering Research Associates)(ERA)が挙げられる。
そのERA1103コンピュータ(1951年)は、実際に市場で通用した最初のコンピュータ・システムであった。
ERAはレミントン・ランドに1951年買収されている。
*このコンテンツは、ENIAC誕生50周年を記念し、平成8年10〜12月に作成/公開したものです。