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feature vol.5

引退。そして新たなスタート。 矢部、藤本選手さよならインタビュー
2004年12月26日、トナミ運輸と日本ユニシスの全勝対決に沸いた日本リーグ最終戦。 その日、静かに人生の一幕を下ろし、新たなスタートを切った2人がいました。
矢部正博、藤本ホセマリ。日本ユニシス実業団バドミントン部を引っ張ってきた最年長選手が引退したのです。
ともに1975年生まれの29歳。
いま2人は何を考え、どこへ向かおうとしているのか。
新たなスタートを切った矢部選手、藤本選手に聞きました。
矢部正博「いつかゆとりをもって」
入社1年目の1998年、いきなりレギュラー選手として活躍し、日本リーグ新人賞獲得。以降も、全日本タイトルにこそ届かなかったものの、ダブルスの選手として、全日本社会人や全日本総合での準優勝など、毎年、すばらしい成績を残してきた矢部選手。 なかでも印象的な試合は、3位になった1999年全日本総合だと言います。
1999年全日本総合は、社会人2年目でした。先輩の加賀谷さんと組んで勝ち上がっていき、準々決勝でNTT東日本の太田/竹鼻ペア(97,01年の全日本総合チャンピオン)と当たりました。ずっと劣勢で、マッチポイントを握られたんですが、そこから奇跡的な逆転勝ちをしたんですよ。優勝候補を破って、本当に嬉しかったのを憶えています。ただそれでホッとしたのか、次の準決勝で負けてしまったんですけど(笑)
他にも、世界の強豪が集まるヨネックスオープンジャパンにも出場。99年には、ベスト16に入るなど、矢部選手は長くユニシスの中心選手として活躍してきました。しかし、現役を終えた今、そうした一戦ごとの戦績にこだわりはないのだと矢部選手は話しました。
確かに、いろいろな大会に出させてもらって、それぞれに想い出もあるんですが、振り返ってみて、何が心に残っているかと言えば、試合結果ではないんです。それよりも、いろんな人たちとバドミントンを一緒にできたことが、一番の想い出なんですよ。僕なんて入った時はいい加減な新人だったのに、先輩たちはみんな真剣に接してくださって、いろいろ勉強させてもらいました。また、外国人コーチのカレルやダビスや劉さんには世界クラスのプレイを教えてもらいました。そしてチームの仲間たち。ホントに、いい人たちと出会えましたし、彼らとバドミントンができて良かったと思います。
矢部選手は、引退するまで、ほぼ3年間チームのキャプテンを務めてきました。その立場から、これからのチーム作りについて、考えるところがあると言います。
ユニシスには良いメンバーが揃っているのに、あと一歩で団体戦の優勝を逃し続けています。そこには何かが欠けているわけだし、それが何かを考えて、変えていかないと行けないと思います。 その一つがチームの運営方法かもしれない。たとえば僕はキャプテンでしたが、もっとリーダーシップを発揮して、チームをまとめていくよう努めるべきでした。今後はより一層、キャプテンにもキチンとした役割を持たせて、フロント・監督・キャプテンの三者が役割を分担しながら、新しいチーム作りをしていくのが良いと思います。そこを変えていくことで、チームとしてもう一段、高い壁を乗り越えられるんじゃないでしょうか。
さて現在の矢部選手は、人事総務部情報グループで業務にたずさわっています。なんだかすごく忙しそう。
いまは、4月に立ち上げる人事システムのことで、パニックです(笑)。どうしてもみんなより作業時間がかかってしまう。それが悔しいです。なんとか早く同期のみんなと同じレベルでやれるようになりたいですね。バドミントンですか? 今はぜんぜんやってません。この前、たまには運動しなくちゃと思って軽くジョギングしたら、筋肉痛になっちゃって(笑)。仕事をこなせるようになって、プライベートでもゆとりが持てるようになったら、またやりたいと思います。
矢部選手画像
MASAHIRO YABE
藤本ホセマリ「マイペースで走り続ける」
おもにシングルスの選手として、2000年・2003年の全日本社会人大会で優勝するなど、輝かしい戦績を残してきた藤本選手。
一番強く印象に残っているのは、やはり初めての全日本タイトルとなった2000年の全日本社会人大会だと言います。
この年は、舛田圭太選手(トナミ運輸)や英孝(ユニシス山田選手)がシドニーオリンピックに行ってたので「チャンスだ、オレが優勝できるのは今年しかない」と思ってたんです。ご存じの通り男子シングルスでは、圭太がずっとタイトルを総ナメにしていて、正直言って彼が出る大会で勝つのは難しいですから。チャンスに強い? いえ、実は大学の時、インカレで準優勝したんですが、その時は初めての決勝進出で満足してしまい、決勝では集中力を欠いて負けて、後ですごく悔しい思いをしたんです。その経験があったので「ぜったい優勝だ。優勝できるチャンスがある時に必ず勝たないとダメだ」と、ずーっと強く想い続けてました。そして、優勝した瞬間は「俺優勝したの?」って現実を受け止めるまでに時間がかかってちょっと遅れてからのガッツポーズ!!仲間からは笑われましたけど(笑)。
その後、藤本選手は、2003年の全日本社会人で2度目の優勝。続く全日本総合でも自身最高となる3位に輝きました。自分なりのベストを極めたことで、それを機に引退しようと考えていたと言います。しかし、それが1年延びたのにはワケがありました。
もともとコンピュータにも興味がありましたし、早めに区切りをつけて仕事をしたいなあと思ってました。それに、優勝してスパッと辞めたら、なんかカッコイイじゃないですか(笑)。でも、2003年の日本リーグでは、あと一歩で優勝を逃してしまった。団体戦での日本一を経験できずに辞めるのを心残りに思ってるところへ、後輩たちが「もう1年頑張って一緒に優勝しましょう!」と言ってくれて、現役続行を決めたんですよ、その言葉はホント嬉しかったです。結局、2004年は、個人戦でも満足行く成績は残せなかったし、日本リーグでもやはり準優勝に終わりましたけど、後悔はしていません。充実した1年だったと思います。
これまでバドミントン漬けだった藤本選手、それだけに、普通の生活は、ずいぶん興味深いようです。
今までは午後になると練習に行ってたので、午後も会社に残っているとなんかムズムズして体を動かしたくなりましたね、今ではもう慣れましたけど。でも土日は驚きでした。今まではたいてい土曜日も練習してきたし、日曜も試合していることが多かったから、「え、週休2日って、こんなに時間あるんだ!?」って感じでした。仕事の方は今、人事を手伝いながら、SEになるための勉強をしています。正直言ってまだ先は見えないですね。 研修が終わって新たな配属が決まったら、見えてくるのかな?Web作成とか興味は結構あるので頑張りたいです。
さて、長年親しんだバドミントンと、これからどう付き合っていくのか。藤本選手は興味深い話をしてくれました。
もともと、自分のカラダを隅々まで自覚しながら管理するタイプだったんです。だから、ちょっと様子が違うとすぐに気付くのですが、今まで週6日のハードな練習をしてきたので、引退してあまり汗をかかなくなってから、カラダが変な感じですね。今までより血行が悪い感じがしてなんか冷え性になったみたいな(笑)。
だから、土日に家の近所の体育館で相手を探して、バドミントンをやるようにしてます。地域の利用者の人が「あれ?ホセマリさん、なんでこんなところにいるんですか?」ってビックリしていましたけど。
いま、逆に現役の時よりバドミントンするのが楽しいですよ。せっかくここまでやってきたことだし、これからも長くマイペースで楽しみたいです。バドミントンが嫌いになって辞めたワケじゃないですからね。ユニシスチームからではなく一個人として、全日本社会人にも出てみようかな?なんて思っています(笑)。
藤本選手画像
JOSEMARI FUJIMOTO
(2005年2月22日掲載)

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