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feature vol.6

未来を担うニューフェース登場 早坂、廣部選手の素顔に迫る
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爽やかな春の陽射しが、コートを眩しく照らしている。
日本ユニシスの未来を背負う二人の若武者がいよいよチームに合流し、新しいバドミントン人生のスタートを切ったのだ。
二人をひと言で表現するならば、スピードの早坂、粘りの廣部。
彼らは今、何を思い、そしてどんな夢を描きながら、厳しい練習に臨んでいるのだろうか。その素顔に迫ってみた。
早坂幸平「私生活が乱れるとプレーも乱れる」この教えがいまも支えになっている
まだまだスーツが板についていない生まれたての社会人。そんな初々しさを携えながら一人の青年が姿を現した。
「取材を受けるのって、生まれて初めてなんですよ」。やや緊張気味の早坂が何気なく言ったこの言葉が、逆に我々に大きな責任となって圧しかかってくる。近い将来バドミントン界のスターになるであろう彼の“初取材”を担当するのだから、こちらも相当なプレッシャーだ。やがて席に着くと、早坂は同期である廣部との思い出を話し出した。

「廣部君とは、実は大学3年の時、ベスト8進出を賭けて戦ったことがあるんです。その時はたまたま僕が勝ったのですが、強かったですね。粘り強かった」。1ゲームを取り、2ゲーム目も最初はリードしていたが、そこから猛烈な廣部の粘りが始まったという。気がつけばフルセットまで持ち込まれていたが、前の試合でも廣部はフルセットを闘っており、最後は体力勝ちだったと早坂は分析する。そんな濃い思い出があるのなら、同じチームに入って、さぞ、いろんな話に花が咲いたことだろう。
「いえいえ、廣部君と再会したのは昨日が初めてなんです。彼はすでにチームの練習に参加していたらしいですが、僕はおととい合流したばかりですから」。死力を尽くして闘ったライバルが同じチームの仲間になる。しかも同期として。彼にとっては心強い追い風だ。

早坂がバドミントンと出会ったのは、小学校3年生の時。当時、中学のバドミントン部だった兄の試合を見て、そのスピード感と迫力に心を奪われたという。
「僕は兄にすごく影響されやすくて、なんでも真似していましたね。兄が遊びに行くところには、必ず一緒についていったりしていました」。早坂は北海道の旭川出身。北海道といえばバドミントンが非常に盛んなところで、静岡でいうサッカーのような存在だ。
「バドミントンが盛んな土地柄でしたから、小学校3年から学校の少年団みたいなところに入って、週3回練習していましたね」。実際にバドミントンを体感してみたら、楽しくて仕方なかったと、早坂は少年のような目で当時を思い出す。
「もう、凄く楽しかったです。そこからは中学、高校、大学と一直線。途中で辞めようなんて、1度も考えたことはありませんでした」。

彼が言うように、バドミントンが楽しい、これが根本にあるからこそ、ここまでがんばれたのだろう。だが、楽しいだけではここまで強い選手にはなれないはずだ。
「旭川広陵中学の時に指導していただいた中村先生との出会いが大きかったと思います。もう、完全にスパルタ教育で徹底的にしごかれました。お正月どころか、休み自体まともになかったですから」。少々TVドラマ風にいえば、鬼コーチ。なんでも、中村監督は文武両道を強く唱えており、バドミントンの前にまず私生活をきちんとしろ、勉強をたくさんやれ、という教えだったそうだ。早坂は、1度遠征先に勉強道具を持っていくことを忘れてしまい、強烈なビンタを中村先生から食らったという。
「“私生活が乱れると、プレーも乱れる”。この教えがいまの僕の支えになっていますね。日本ユニシスに入社してからも、バドミントンだけでなく、与えられた仕事をきっちりやっていこうと」。中村先生のスパルタがなければ、日本ユニシスの早坂は誕生しなかった。
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では、早坂の目から見て、日本ユニシスのバドミントンチームはどのように映っているのだろうか。もともとこのチームでプレーすることを決めたキッカケとは?
「筑波大のOBが結構、たくさんいらっしゃるので、僕もその中に入って一緒にやってみたい、という思いがありましたね」。実際に入ってみて印象はどうだったのだろう。
「大学の先輩だけでなく、みなさん気さくで優しい方ばかりです。山田さんの存在も大きいですよね。こんなに身近なところにオリンピック選手がいるので、いろんなことを吸収したい。そして、僕もいつかオリンピックを狙えるような選手になりたい」。物腰の柔らかい早坂の表情に一瞬、激しい野心が垣間見える。
「練習はきついですよ。まだ始めたばかりで慣れない部分もありますが、ひとつひとつの質が高いんです。昨日なんか、すべてのトレーニングが終わったあとに200メートルを35本走りました。とどめを刺すって感じで正直しんどかった。でも、総体的にはなんとかついていけそうな感触はあったので…たぶん、大丈夫でしょう(笑)」。

最初の難関が練習メニューとすれば、次は自分のプレースタイルの確立だが、早坂のコートの中での“セールスポイント”は何なのか。
「僕のプレースタイルは攻撃性とスピードですね。決め技はフォアカットでしょうか。自分が攻撃的になっている時は結構、自信があるんです。ただ、劣勢になるとズルズルと崩れてしまい、立て直せないまま終わってしまうってことがよくありますね」。崩れた時の精神的な立て直し、これが、早坂自身が分析する早坂の課題らしい。

そんな早坂を中條監督はこう見ている。「彼はバドミントンの選手として理想的な体型をしている。基礎もしっかりしているし、体も丈夫で素早い。パワーにちょっと欠けるところがあるが、将来性を買っている。努力を怠らなければ、2008年の北京オリンピックも夢ではないですね」。パワー不足を懸念するも、監督の将来に賭ける期待は大きい。

試合前日は、試合のことを考えず、早く寝る。ゲンかつぎやジンクスもない。大学4年生の1年間はスランプに悩んだが、日本ユニシスに入ってモチベーションはいま最高潮。むしろ早坂は、入社がスランプ脱出のきっかけになったと語る。
「当面の目標は、とにかくランキングをもう一度上位に戻すことですね。ランキングがあると、いろんな大会で優位ですから。そして、実績をどんどん残してナショナルチームへのレギュラー入りを果たし、悲願の優勝に貢献したい」。もちろん早坂個人の最大の目標は、オリンピックにあるのだろうが、一つ一つの階段を今は着実に昇る時だ。

最後に日本ユニシスを応援してくれるファンにひと言。「とにかく、一生懸命プレーしているところを見てほしい。いままで、あんまり応援されてプレーした経験がないんですが(笑)。日本ユニシスのために死力を尽くしがんばります」。
兄の真似をして始めたバドミントンが、いまや早坂の最大の武器であり、自己表現のひとつとなっている。その水を得た魚のような躍動感が、きっと、日本ユニシスを優勝に導く原動力となるはずだ。
早坂選手写真
早坂 幸平(はやさか こうへい)
1982年 7月 23日 生まれ
174cm、60kg、右利き
札幌第一高校 → 筑波大学
今年の抱負:チームに貢献したいです。
廣部好輝「守りながら勝機を見出す」これが僕のプレースタイル
アグレッシブなプレースタイルを主張する早坂に比べ、廣部の印象はマイペースで控えめ、そして無欲。それを象徴する発言があった。早坂が熱く語ったインカレ・ベスト8を賭けた直接対決のことだ。
「あの頃は、基本的にダブルスをメインにやっていたので、シングルスはあまり練習してなかったのですが、偶然ベスト16に残っちゃったんです(笑)。だから、勝ちたい!というプレッシャーもなく無欲で闘えました。早坂君より精神的に気楽だった分、互角に競り合えたんだと思いますよ。力的にはぜんぜん向こうの方が上でしたから」。
飄々と語るその姿に気負いはない。あくまでも自然体を貫く廣部は、バドミントンを始めたきっかけも、劇的な出会いではなく、ごく普通の流れの中に存在する。

「母親が遊びでやっているのを見て、面白そうだなって思ったのがきっかけです。小学4年のときにスポーツクラブみたいなものに入ったのですが、本格的なものでなく遊びの延長でしたよ」。その後、中学に進学した彼は部活を選択するのだが、自分の好きなこと、一つのことを続ける方がいいと判断し、迷わずバドミントン部に入部したという。合理性と一途さの両面を併せ持つ廣部ならではの選択だ。

そんな廣部も中学、高校、そして大学と、バドミントンの世界でメキメキと頭角を現し、早坂と戦った’03インカレ単ベスト16、’04インカレ複ベスト16の戦績を残す。しかし、自分の実力では、日本ユニシスのチームの一員になることは不可能だと思っていた。
「日本ユニシスは、自分のレベルよりかなり高いチームだと思っていたので、まったく縁がないと思っていたんです。ところが急遽、中條監督にお話をいただいて。自分に合ったレベルのチームを探していたので正直、驚きました」。プロ野球の世界を見てみても、イチローや古田、新庄など、ドラフト4位、5位あたりの選手が超一流へと進化している。必ずしも、インカレの戦績だけが将来を決めるわけではない。

廣部を誘い入れた張本人である中條監督はこう語る。「彼は動きそのものよりも頭脳派。どんな競った試合でも冷静沈着な判断ができる。あえて言えば基礎体力とスピードが彼の課題。これからどんどん鍛えていって自分の能力をもっともっと伸ばしてほしい」。早坂同様、無限の可能性を秘めた将来性に大きな期待を寄せている。

「練習は大学と比べてかなりきついです。まだ体力的に追いついていけてない。バドミントンのテクニック以前の問題ですね」。ビジネスの世界も、スポーツの世界も、大学と実業団では意識の持ち方から格差がある。
「練習の意識が高いというか、全力でやらないと何の意味もない。大学の時はただこなせばいい、という感じでしたが、今は自分の全力以上のものを出し切って練習することに意義があると痛感しています」。このチームにやってきて約1ヶ月。廣部の中で確実に何かが変わった。
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廣部の初々しいスーツ姿を見ていると、とてもあの激しいバドミントンでプレーをしているとは想像しがたいが、自分のプレースタイルを彼自身どう分析しているのか。
「守って、守って、守り抜いて、そこから勝機を見出していく、というのがある意味僕のスタイルかもしれません。得意技というか、レシーブには自信がある。今後の課題としては、パワーがあまりある方ではないので、いま必死に筋トレをしていますが」。守って、守って、守り抜く。早坂が廣部を称して“粘り強い”と言っていたのは、まさにそこではなかったか。

「ちょっと貧血気味なので鉄分を多く摂るようにしたり、野菜やレバーもたくさん食べたりするようにしていますよ(笑)」。そう言いながら穏やかに微笑む廣部の、フワッとしたその力の抜け方は、むしろ、一流選手になるためのメンタリティのようにも思えてくる。
「スランプとかはないですね。というか、調子がいいとか、悪いとか、あまりよくわからないんです(笑)。ちょっと買い物に行ったり、映画を見たり、あとは格闘技が好きなのでテレビで見たりすれば、それでもうスッキリって感じでしょうか」。好不調をいちいち気にせず、日々淡々とバドミントンのためだけに青春を燃やす。あれもこれもと欲張る若者が多い中、ある意味、こういうシンプルな生き方は贅沢と言えなくもない。

「でも、夢はありますよ。せっかくチャンスをいただいたのだから、日本一になれるよう少しでもチームに貢献したい。好きな言葉は“根性”。理屈じゃないんだ、と言う気持ちをいつも持っていたい」。インタビューの最後に見せた秘めたる闘志。穏やかな風貌の奥には、激しい情熱が燃えているのだろう。トップレベルのアスリートは、何かの拍子に一瞬、鋭い眼光を見せるものだ。彼の目にもしっかりとそれを見た。
ところで、好きなタイプは?「竹内結子とか柴咲コウですかね…少し年上っぽい雰囲気の人が好きです」。一流アスリートの目が、まだまだあどけない青年の目に戻った。
廣部選手写真
廣部 好輝(ひろべ よしてる)
1982年 8月 8日 生まれ
178cm、65kg、右利き
藤島高校 → 中央大学
今年の抱負:全日本総合ベスト8
(2005年4月7日掲載)

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